本には旅の記憶が刻まれる|京都旅行
深い緑色の扉を押し開けると、あたたかなやわらかい雰囲気が私を包んだ。思わずふっと口元が緩む。店内に目をやると背の高さくらいの本棚や年季の入った机に並べられた無数の本が飛び込んできた。キャッチ―な表紙のかわいらしいエッセイ、だれもが知っているあの小説、小難しい哲学の本、表紙が文字で埋め尽くされた雑誌など、あらゆる本がお行儀よく並んでいる。
私は旅行先で書店に行くのが好きだ。もちろん買うのも好きだし、何も買わずに出ることの方が少ない。書店という存在はいつでも見知らぬ私でもあたたかく迎えてくれるような気がする。そのおかげで私が買う本には旅の思い出も刻まれる。帰りの荷物の重量ももちろん増える。うれしい重さだ。
先日の京都旅行で訪れたのは「恵文社一乗寺店」さん。出町柳駅から叡山電鉄に乗って一乗寺駅で降りて徒歩3分ほどで着く。今回はたまたま立ち寄ったのではなく、前日にバーのマスターからおすすめしていただいたのが理由。私が酔っていたためか親切に書店名のメモ書きまで渡してくれたので、迷うことなく行くことができた。他にもおすすめしていただいたお店があるがそれらはまた次回に。
恵文社の店内はとても静かであった。お客さん一人一人が並んでいる本たちと向き合うのに夢中になっており、時間の流れがゆっくりになっているように感じられた。まるで別世界。お行儀よく並ぶ本たちも窮屈さは感じられない。次々に前を通るお客さんを一瞥し、手に取ってもらう人間を選定するかのようにゆったりと、かつどっしりと構えていてどの本も存在感があった。
まるで美術館かのような店内は時間を忘れて思わず長居してしまいそうだった。さまざまなジャンルの本が置いてあるが、選んだ人のこだわりや並べ方の工夫がひしひしと伝わる。テーマごとに並べられた本は私たちの新たな出会いを促しているような気がした。
いつも通りなにか買って帰ろうと店内を物色。ここをおすすめしてくれたバーのマスターとの会話の中でレイモンド・チャンドラーの『ロンググッドバイ』が出てきたことをここで思い出す。まだ読めていなかったため、これはここで買って帰るしかないと心が高鳴る。書店での目的の本は自分の力で見つけ出したい、探し出してあげたいとまるで迷子の我が子を探す親のような気持ちをいつも持っているが、なかなか見つからず。同じところをぐるぐると、そろそろ怪しい客だと思われそうなところで敢え無く白旗を上げることに。
近くにいた店員さんに声をかけると「レイモンド・チャンドラーですね、あるとしたらあちらの棚ですね」と、店内の本の配置がすべて頭に入っているのかと疑ってしまうほどスムーズに案内してくれた。しかし、他の著作はあったもののお目当ては売り切れ。「すいません、売り切れてしまってますね」と申し訳ないという表情だったが、滅相もない。書店でアルバイトしている身からすると理想的なスピードでの案内で、感服致しました、と伝えたいところだったが引かれそうなので「探していただいてありがとうございます」とだけ返した。
さあどうしようか、と一瞬思ったが、既に別の本には目をつけてあった。
侮るなかれ。今回買ったのはこちら。
『起きられない朝のための短歌入門』(我妻俊樹・平岡直子 著)とエッセイ集の『わたしを空腹にしないほうがいい』(くどうれいん 著)の2冊。
今回はあえて表紙は隠して、紙のカバーを見てほしい。恵文社のオリジナルのカバーをつけていただき、オリジナルの栞まで。カバーをつける様子は見事な手捌きであっという間だったが共有できないのが悔やまれる。
普段はカバーを外して収納する私も「これは外せないな」と我が子のように何度も撫でる。写真じゃ伝わりづらいけど色がいいんですよ、色が。
レシートを受け取り、落ち着いた声で「ありがとうございました」と言われた私は思わず「ありがとうございます、また来ます」と答えていた。
外に出てもう一度外観を眺める。昔ながらの長屋のような店構えは郷愁を感じさせる。看板に書かれた「けいぶん社」のひらがなもかわいらしい。
「また来ます」と口にしていたのは、きっとここはいつ来ても変わらない空気で迎えてくれるだろうという確信からだろう。丁寧に装丁された2冊を鞄に入れ、私は駅まで歩を進めた。この2冊には旅の記憶が色濃く刻まれている。
念願の広島旅行に行ってきた記録
広島ってなんでこんなにも魅力的なんだろうな。ドラマとか映画を観ていて「ここいい場所だな。ロケ地どこだ。」と思って調べると8割方広島である。決して盛っているわけではない。
何年も前から行きたい欲は溢れていたのだが、なかなか実現せず、遂にこの卒業が間近に迫った時期に行くことになった。今回は一人ではなく、大学の友人と。
多くの大学生にとって新幹線や飛行機での長距離移動は素晴らしいがかなりの必要金額が伴う。つらい。私もその多くの大学生に当てはまるので、今回は行き帰りともに夜行バスを利用した。私は夜行バス初体験だったので、結構わくわくどきどきしていた。周りの多くは「夜行バスはつらい」と口を揃えて言うが、使ったことないのに意見を述べるのは恥ずかしいことであると認識しているため、おれも批評する人たちの仲間入りできるぞとなぜか意気込んでいた。
東京は新宿、皆さんご存じバスタ新宿から広島駅前まで約12時間。結果としては、思ったより快適だった。最近は利用者も多いから進化しているのかもな。新たに夜行バスという選択肢を得たことでわたしの今後の旅行の幅が大きく広がることとなってほしい。
到着しホテルに荷物を預けた後、最初に向かったのは原爆ドームと広島平和記念資料館。一度は時間をかけて見ておきたいと思っていたため、やっと叶った。海外の人も非常に多く訪れていたのが印象的だった。
私は東京生まれ東京育ちであるが、戦争についての学びの機会、平和学習というものは修学旅行の事前学習のように稀にしか行われないものであったと記憶している。対して広島ではそういった学習の機会が多いと聞いたことがある。こういった過去の出来事は時間と共に風化していくことも多いが、場所に限らず学びの機会が増えてほしいと願う。
その後は広島電鉄に乗って厳島神社へ向かった。広電宮島口駅まで行ってフェリーで宮島に。あまりにも天気が良く、風も心地よかった。
着いた頃にはお昼過ぎで空腹状態だったため、「みやじま食堂別館」でカキフライ定食を頂いた。やはり広島といえば牡蠣だ。
厳島神社は予想通りだがかなりの人だった。修学旅行生も非常に多かった。自分の修学旅行は沖縄だったけど広島羨ましいと思った。もちろん沖縄も素晴らしかったけどね。学生は皆写真を撮りあったり、集合写真を撮っていたり、友達同士でふざけあったり、青春の1ページを見せつけられたような気分になった。かけがえのない思い出として刻まれるといいね。
その後は厳島神社と厳島弁財天の御朱印をいただいて帰った。前に伊勢に行って御朱印帳を買ってから旅行に行く時は必須アイテムになったな。金沢に行ったときに持っていくの忘れたときはだいぶ落ち込んだ。
夕食は広島風お好み焼を食べに「みっちゃん総本店」へ。よく関西風と比較されることがあるが両方好きだな。どっちが好きかは決めづらい。
アレンジやトッピングも充実しており、いくら食べても飽きない。値段も思っていたより数倍リーズナブルだった。
店内のテレビでは野球の日本シリーズが映っており、万が一カープが日本シリーズに出場していたら店に入れないどころか、ホテルの予約も叶わなかったんじゃないかと、とてもカープファンには言えない思いを抱いた。
食事後はホテルに戻ってシャワーを浴びて少しお酒を飲み就寝。夜行バスの疲れが溜まっていたのかいつもよりもすんなりと眠りに入れた気がする。でも結局数時間で目が覚めてしまうのが最近の悩み。それは旅行中にも限らず私に訪れた。
2日目はカーシェアで尾道に向かった。広島に行ってからタイムズカーシェアに登録したけど便利すぎるな。地方にも割と普及していそうなイメージもあるし、今後活用していけそう。
免許は取って1年も経っていないけど、すでに私の旅行記に大幅な変化をもたらしている。めんどくさがらずにもっと早く取っておけばよかった。
大好きな映画「ドライブ・マイ・カー」の影響もあって広島で自分で運転することが密かな夢だったのが今回ついに叶った。煙草が吸えればなおさら映画と同じで良かったかもしれないが生憎煙草を吸うつもりはないのでそれが叶うことはない。
運転して着いたのは昼過ぎ。尾道といえば尾道ラーメンだが、長蛇の列ができているお店も多く驚いた。「一(はじめ)」は地元の人らしき人も入っていくのが見えたので昼食に即決。結局地元の人に愛される店に外れはない。
尾道はただ歩いているだけでも心地よい時間を過ごすことができた。老後はこういう場所に住むのが自分には合っているのかもしれない。やはり自分は海が好きだと再認識した。
千光寺にも行ったが、夜行バスの時間が迫っており山頂には行けなかった泣
夜行バスの時間の関係であまり長居はできなかったが、それでもまた来たいと思えるような場所であった。次は必ず充分すぎるほどの時間を持って訪れたい。岡山の倉敷と尾道のセットで巡る旅行とか良さそう。
その後はお土産を見たり、夜行バスに乗る準備をしたりして時間をつぶした。お土産はどれ買うか結構迷ったな。もみじ饅頭が有名なのは知っていたけど牡蠣やレモンが使われたお菓子もあり全部魅力的だった。今回は牡蠣せんべいと生もみじ饅頭を買って帰った。
帰りの夜行バスも予想より快適だったな。寝られないことは全くなかったし、周りも静かでホッとした。夜行バスは今後の私の旅行に貢献することは間違いないが、行きも帰りも利用するには体への負担がデカすぎる。でもこれから私も大きな顔をして夜行バスを批評する奴らの仲間に入ることができるのはよかった。
家に帰った後はすぐに泥のように寝た。夜行バスに長時間運転と、慣れないことをすると思ったより疲労が溜まっているのかもしれない。
今回の旅行も大満足で終わった。念願の広島旅行だったから少し時間が足りなかったことは否めないけど、また行けばいい。何事も腹八分くらいがちょうどいいのだと誰かが言っていたような気もするし。
特に尾道の辺りはもっと魅力的な場所が絶対にあるから、次はそっちをメインに観光することを検討しよう。
またすぐ旅行に行く予定があるので、そちらも記事にして記録しておきたい。
また書きます。さようなら。
「生まれ変わったら何になるのか」映画「怪物」を観た感想 ※ネタバレあり注意
映画「怪物」を観てきました。是枝裕和さんが監督、坂本裕二が脚本、坂本龍一が音楽という誰もが一度は耳にしたことがあるような名前が並んでおり、公開前から必ず観なければと思っていました。
以下、深い考察は期待しないでください。思ったこと、感じたこと、考えたことをありのまま書いていきます。
この映画のキーワード
私はこの映画のキーワードの1つに「生まれ変わり」があるように感じられました。
序盤から「生まれ変わったら」と話すシーンがあり、ラストシーンでも「生まれ変われたのかな」と話すシーンがあります。
「生まれ変わったら何になるのか」
誰しも一度は考えたことがあると思います。私もあります。
ラストシーンでは、「生まれ変われたのかな?」という依里の問いに対し、「生まれ変わるとかないよ。元のままだよ。」と湊が返すシーンがあります。(セリフは正確ではないです。)
その後、湊と依里は晴れた青空の下で何もかも吹っ切れたように叫びながら笑顔で駆け出していきます。
「元のままだよ。」とありましたが、私はこの2人は死後の世界にいるのだと感じました。
あんな大雨、土砂災害に遭遇して助かるはずがないという考え方もありますが、死んだかどうかについては直接言及はなかったと思います。(見逃しているかも。)
湊は「同性の依里を好きになってしまったこと、その依里を虐待やいじめから守れなかったこと、嘘をついた結果保利が悪者になったこと。」、依里は「父親から虐待、クラスメイトからいじめを受けていること。」、それぞれ「生まれ変わりたい」という願望を持っていると推測できます。
これらを踏まえて、「元のままだよ。」というのは「死んで生まれ変わったけど、2人一緒に居られて同じ気持ちのままでいられた」ことを表しており、湊と依里にとってはハッピーエンドを迎えられたのだと感じられました。
つまり、笑顔で2人駆け出していくシーンは天国とも言えるかもしれません。
もちろん死んだことが確定しているとは映画内では言えないと思うので、視聴者に解釈が委ねられる部分かもしれないですね。
結局、「怪物」は誰だったのか
「怪物だーれ」というセリフは映画予告でも聞かれており、1つのテーマであると思います。
ただ、結論としては「見方によってだれしも怪物になりうる、だれも怪物ではないともいえる」のではないかと考えました。
この映画は登場人物それぞれの視点によって構成がわかれており、同じ出来事でもそれぞれにどう見えていたかを知ることができます。
早織にとっては校長や保利は怪物に見えただろうし(もしかしたら湊も?)、湊にとっては依里を好きになってしまった自分や男は男らしくと言ってくる先生、依里にとっては同じく先生や父親を殺すためにガールズバーに放火した自分(自覚していないと思いますが。放火も依里の仕業であると思っています。)、保利にとっては孫との写真を見せるように仕向ける校長、学校の先生たちにとってはクレームをつけてくる早織、それぞれがそれぞれの怪物を持っています。
それぞれの視点すべてを観終えるまではなんとも不気味な感じで進んでいき、心に靄がかかったままでミスリードされてしまう人も多いと思いました。ただこれが面白さの1つなんだと思います。
LGBTQに関して
今作ではLGBTQに関するメッセージ性も含んでいると感じました。
早織の湊に対する「普通に結婚して、普通に子どもを産んで~」という発言、同性の依里を好きになる湊、テレビで笑いの対象になっているおねえタレント、それぞれ印象的でした。
今でこそ、話題になることは多く、そういった知識を有している人も増えているように感じますが、まだ充分ではないと思います。もちろん自分も。
少し前の時代ではこういったシーンもあまり気に留められなかったかもしれません。意図せずとも誰かを攻撃してしまっていたのかもしれないですね。
また、印象的なシーンの1つに校長と湊が2人で楽器を演奏する場面があると思います。湊が自身が嘘をついてしまったことを告白する場面です。
そこで校長は
「誰でも手に入るものを、幸せというのよ。」と湊に言います。
私には「幸せは誰でも手に入れることができる」と言っているように思いました。
「多様性」は近頃よく聞くワードですが、まだまだ浸透しきっていないし、受け入れられたともいえないと感じています。
そういった現代社会に対し、伝えたい、投げかけたいことがこの発言には組み込まれているような気がします。
「消しゴム」の存在
観終わってから感じたことですが、どこか「消しゴム」の存在が印象に残っていました。
先生の話の途中に必死に机に消しゴムを擦り続ける生徒、宿題中に消しゴムを拾おうとして静止する湊のこの2つのシーンでしょうか。
鑑賞中には考えを巡らせていなかったため、なんとなくですが「消しゴム」の存在も「生まれ変わり」を連想させていたのかなと思います。
特に湊のシーンでは自身の気持ちが消せないこと、それゆえに生まれ変わりたいと思っていることを示唆しているように感じられました。
最後に
この作品には様々なメッセージが込められており、観る人によって解釈は大きく変わると思います。私が最も印象に残ったのは「生まれ変わり」という言葉です。
拙文ですが、映画は素晴らしいので是非映画館へ。
伊勢で1人を楽しんできました。
先日行った伊勢旅行の記録です。noteの方にも記事を書いてますが少し修正してこちらにも載せます。
伊勢に少しでも興味ある方、旅行好きだよって方、是非読んでいってください〜
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書店バイトの話
私は書店でバイトしている。デカい駅ビルに入っていたり、新宿紀伊国屋のようにそびえたっていたりする書店ではなく、いわゆる町の小さな本屋といった感じの書店だ。(小さなとかいったら怒られそう。)
お客さんも昔から利用してくれている高齢の方が多い。
「今日はこれから病院に行くのよ~。」「この方の本おもしろいのよ。」とあたかも私の近所に住む馴染みの人かのように話をしてくれる。何気なくふらっと寄れる本屋だからいいよね~ってみんな言ってくれる。
ありがたいしそんな雰囲気が好きだけど、寄るだけじゃなくて買ってね。
正直空いていることの方が多い。しかしそのときのお店の雰囲気も好きだ。
大量の文庫小説や雑誌やマンガ、少しの単行本、子ども向けの文房具が棚に並べられているのを同時に視界に入れられるのも小さな書店ならではの魅力。少し無理に積み上げられた村上春樹の新作なんかもなんとなく味がある。
3年もアルバイトさせてもらった。店内に目を配るたびいい本屋だなって思う。
なんでバイトのことを書いたのかというと、建て替えで一時的に移転してしまうからなんですよね。今よりも小さいお店らしい。すぐ近くだけど。
ちょっと寂しいなぁ。
元に戻る時に急におしゃれ路線に踏み切ったらどうしよう。名前言わずにクレームの電話いれようか。
最近は町の本屋が減ってきている。ついこの前も隣駅の本屋が閉店した。
紙の本の需要が減ってきているのも原因なのかなあ。
本好きの皆さんには是非町の本屋、たくさん使ってほしい。
それぞれにそれぞれの魅力があって、立ち寄るだけでも楽しめるはず。
是非今日の帰りは本屋に寄って紙の本を買って帰ってほしい。意外な気づきがあるはず。