「生まれ変わったら何になるのか」映画「怪物」を観た感想 ※ネタバレあり注意



映画「怪物」を観てきました。是枝裕和さんが監督、坂本裕二が脚本、坂本龍一が音楽という誰もが一度は耳にしたことがあるような名前が並んでおり、公開前から必ず観なければと思っていました。
以下、深い考察は期待しないでください。思ったこと、感じたこと、考えたことをありのまま書いていきます。

 

この映画のキーワード

私はこの映画のキーワードの1つに「生まれ変わり」があるように感じられました。
序盤から「生まれ変わったら」と話すシーンがあり、ラストシーンでも「生まれ変われたのかな」と話すシーンがあります。
「生まれ変わったら何になるのか」
誰しも一度は考えたことがあると思います。私もあります。

ラストシーンでは、「生まれ変われたのかな?」という依里の問いに対し、「生まれ変わるとかないよ。元のままだよ。」と湊が返すシーンがあります。(セリフは正確ではないです。)
その後、湊と依里は晴れた青空の下で何もかも吹っ切れたように叫びながら笑顔で駆け出していきます。
「元のままだよ。」とありましたが、私はこの2人は死後の世界にいるのだと感じました。
あんな大雨、土砂災害に遭遇して助かるはずがないという考え方もありますが、死んだかどうかについては直接言及はなかったと思います。(見逃しているかも。)

湊は「同性の依里を好きになってしまったこと、その依里を虐待やいじめから守れなかったこと、嘘をついた結果保利が悪者になったこと。」、依里は「父親から虐待、クラスメイトからいじめを受けていること。」、それぞれ「生まれ変わりたい」という願望を持っていると推測できます。

これらを踏まえて、「元のままだよ。」というのは「死んで生まれ変わったけど、2人一緒に居られて同じ気持ちのままでいられた」ことを表しており、湊と依里にとってはハッピーエンドを迎えられたのだと感じられました。
つまり、笑顔で2人駆け出していくシーンは天国とも言えるかもしれません。

もちろん死んだことが確定しているとは映画内では言えないと思うので、視聴者に解釈が委ねられる部分かもしれないですね。

結局、「怪物」は誰だったのか

「怪物だーれ」というセリフは映画予告でも聞かれており、1つのテーマであると思います。
ただ、結論としては「見方によってだれしも怪物になりうる、だれも怪物ではないともいえる」のではないかと考えました。

この映画は登場人物それぞれの視点によって構成がわかれており、同じ出来事でもそれぞれにどう見えていたかを知ることができます。

早織にとっては校長や保利は怪物に見えただろうし(もしかしたら湊も?)、湊にとっては依里を好きになってしまった自分や男は男らしくと言ってくる先生、依里にとっては同じく先生や父親を殺すためにガールズバーに放火した自分(自覚していないと思いますが。放火も依里の仕業であると思っています。)、保利にとっては孫との写真を見せるように仕向ける校長、学校の先生たちにとってはクレームをつけてくる早織、それぞれがそれぞれの怪物を持っています。

それぞれの視点すべてを観終えるまではなんとも不気味な感じで進んでいき、心に靄がかかったままでミスリードされてしまう人も多いと思いました。ただこれが面白さの1つなんだと思います。

LGBTQに関して

今作ではLGBTQに関するメッセージ性も含んでいると感じました。
早織の湊に対する「普通に結婚して、普通に子どもを産んで~」という発言、同性の依里を好きになる湊、テレビで笑いの対象になっているおねえタレント、それぞれ印象的でした。

今でこそ、話題になることは多く、そういった知識を有している人も増えているように感じますが、まだ充分ではないと思います。もちろん自分も。
少し前の時代ではこういったシーンもあまり気に留められなかったかもしれません。意図せずとも誰かを攻撃してしまっていたのかもしれないですね。

また、印象的なシーンの1つに校長と湊が2人で楽器を演奏する場面があると思います。湊が自身が嘘をついてしまったことを告白する場面です。

そこで校長は
「誰でも手に入るものを、幸せというのよ。」と湊に言います。

私には「幸せは誰でも手に入れることができる」と言っているように思いました。
「多様性」は近頃よく聞くワードですが、まだまだ浸透しきっていないし、受け入れられたともいえないと感じています。
そういった現代社会に対し、伝えたい、投げかけたいことがこの発言には組み込まれているような気がします。

「消しゴム」の存在

観終わってから感じたことですが、どこか「消しゴム」の存在が印象に残っていました。
先生の話の途中に必死に机に消しゴムを擦り続ける生徒、宿題中に消しゴムを拾おうとして静止する湊のこの2つのシーンでしょうか。
鑑賞中には考えを巡らせていなかったため、なんとなくですが「消しゴム」の存在も「生まれ変わり」を連想させていたのかなと思います。

特に湊のシーンでは自身の気持ちが消せないこと、それゆえに生まれ変わりたいと思っていることを示唆しているように感じられました。

最後に

この作品には様々なメッセージが込められており、観る人によって解釈は大きく変わると思います。私が最も印象に残ったのは「生まれ変わり」という言葉です。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している

                       村上春樹ノルウェイの森」より

観終わったあと、この文章がふと思い出されました。
「生まれ変わり」にはどうしても死後という意味が含まれてしまいますが、死が生の一部であるならば、生きたまま生まれ変われるのではと湊と依里のラストを今はポジティブに捉えています。

拙文ですが、映画は素晴らしいので是非映画館へ。